わたとんのインスタント教育

元教育関係者です。

通知表の関心・意欲・態度は必ずしも授業態度や提出物だけで決まっているとは限らない【学校あるある#2】

「先生、なんでここの評価が悪いんでしょうか?授業はしっかり受けているはずですし……」これはお子さんがいる親御さんからの質問で意外と多いものになります。「授業で発言もしているし、提出物もしっかり期限を守って出して評価もいいのに、なんで一番高い評価にならないの?」と首をかしげる方もいるでしょう。確かに、「関心・意欲・態度」という名前だけ見たら、授業態度が悪かったら成績は下がり、良かったら上がると考えてしまうのは無理もありません。

ここで押さえておかなければならないのは、それ以外の小テスト・定期試験でも関心・意欲・態度を問われる問題があるかもしれないということです。定期試験では、どの観点に何点分使うか、どのような問題を出すかということを出題者は考えます。関心・意欲・態度を定期試験からも確認したい場合は、多かれ少なかれ、?/100または?/50の内に組み込んで出題します。意外と知られていないこの現実。各教科担任によって変わるので、その点については直接聞いたほうがいいです。

しかし、試験本番でうまくいかないこともありますよね。私が問題作成者なら、関心・意欲・態度を測る問題を定期試験では出しません。むしろ、関心・意欲・態度の観点は、得意・不得意関係なく、しっかりと取り組む姿勢を評価します唯一その教科を苦手とする生徒を救える場所であり、説明責任を果たすのが一番面倒なのがこの観点であることも分かったうえでの判断です。

他にも判断材料はありますが、実技試験(パフォーマンステスト)を取り入れるのなら、英語の場合スピーキングテストやリーディング(音読)テストなどがあります。「関心・意欲・態度を測るのはここ!」というよりも、ルーブリックで「ここを意識すると評価が上がりやすい」ということを事前に明示しておけば、試験における姿勢(関心・意欲・態度につながる声の大きさ、アイコンタクトなど)もおのずと良くなるはずです。成績は教科担任の手に委ねられます。忘れ物をしたら減点、発言をしたら加点というようにしている教員もいます。

そのような教員を批判するつもりはないですが、「できるけど発言しない・したくない生徒」がいることもまた事実です。忘れ物についても、問われたらしっかりと答えられるようにする必要もあります。

最後にこれだけは言えます。成績評価に関係なく、授業に積極的に取り組む生徒は応援したいと思えます。逆に、試験で点数が取れても授業中に寝たり妨害するような生徒は、応援する気持ちになれません。教員も人間です。頑張る姿を応援したいというのが当然だと思います。

「YouTuberになりたい!」ともし小学生に言われたら

広告収益や企業案件については、YouTuberは語りたがりませんが(メリットがない→「結局金かよ」と言われたりする)、それでも公開してくれる人が最近増えました。確かに、普通の会社勤務の人からしたら「こんな動画を上げているだけで自分よりもらってるの?!」と落胆している人もいると思います。次第にYouTubeについての情報も明らかになってきたため、タイトルにあるようなことを聞かれたらこう答えようとなりました。

① そもそも根気よく続けられるか
当たり前ですが、動画を見てもらい続けなければ収益は入りません。総再生時間はともかく、チャンネル登録者が1000人以上いかないと収益審査すらしてもらえません。それまで続かない人が多いです。毎日投稿をする必要はないと思いますが、定期的に投稿することが望ましいでしょう。また、一気に登録者が1万人!という人もいますが、大抵は他のプラットホームで人気があった人がYouTubeに移動してきたということが多いです。それを考えると【パーカー/大学生の日常】このチャンネルはすごいと思います。このような例は極めて稀なので参考にはならないです(笑)

② 他の人にはない特別な魅力があるか
 YouTubeレッドオーシャンです。どのジャンルも、トップに君臨する人がいるでしょう。自分より優れている人にあなたはどう立ち向かいますか?

③ 撮影・編集スキル・トーク力(語彙力)があるか
 顔出しなし声なしでも、ゆっくり実況のようにやったり、Vlogに字幕をつけたりする人もいます。顔だけでなく声のトーンだけでも人の好みは分かれます。そもそも自分が知らない一般人の自分語りの動画を見たいとは思わないですよね? あえて編集しない人もいますが、それは戦略が練られているからできることです。

④ SNSであることを理解しているか
 YouTubeSNSであると言っていいでしょう。動画内のコメント欄で批判されることもありますし、5chで叩かれたり、根拠のないデマを書き立てられたりすることもあります。家を特定する人もいれば、顔出しをしていて人気があればストーカー被害に遭うこともあるかもしれません。また、他のSNSと同様に、一度上げた動画は人気YouTuberの場合誰かに無断保存されていると考えていいでしょう。自分のキャリアに泥を塗りたくない(黒歴史)と思うのなら、じっくりともう一度考えたほうがいいです。

⑤ いつまでもYouTubeというものに依存するつもりなのか
 「いつなくなってもおかしくない」と意識する必要があります。「学歴なんか関係ない!HIKAKINみたいに高卒でも稼ぐ!」と考えるのは甘すぎます。企業はいつ倒産するのか、社員でさえわからないものです。YouTube以外で稼げる場所があればいいですが、何もないままただYouTubeを始めるのはあまりに危険すぎます。それなりに稼げているYouTuberが伸びた方法を教えてくれているので、それを参考にしながら動画を作成し、try and errorを繰り返しましょう。最近小耳に挟みましたが、YouTuber養成講座は時間の無駄だと思います。

これからどのような時代になるのでしょうか。楽しみです。

英語教員のせいで、日本人の英語力は向上しないのか?

「日本の英語教育はおかしい」、この議論はずっとなされてきました。今では小学生から教科としての英語の授業があり、各学校で試行錯誤のもと、授業が作り上げられています。


正直な話「日本の英語教育」という狭い範囲内から抜け出せない限り、日本の教育現場は疲弊の一途を辿り、人材不足に拍車がかかるでしょう。「教育現場をより良い環境に」という考えが国全体にないと意味がありません。


人手不足は悪循環しか生みません。非正規雇用も多く、毎年異動せざるを得ない先生がたくさんいます。公立学校の場合、本採用(正規)になるためには教員採用試験(教採)で合格し、名簿に氏名が記載され、1年間の初任者研修(初任研)を経て、ようやく「本採用の教員だ!」となります。


しかし、教採は夏に行われます。近くの自治体は試験日が被っているため、複数受験をする場合は離れた場所まで行く必要があります。
そこで問題なのが、その時期は3年生の引退試合と重なっているということです。さすがに当日に引率させる管理職はいないですが、前日に引率する非正規教員もいます。「もともと準備していれば問題ない」と言われるかもしれませんが、常勤の講師の場合、本採用と同じものを課されます。授業はもちろんのこと、学級担任、部活動指導、校務分掌などを担当します。
学級担任で運動部の正顧問となれば、かなり負担になるのは明白です。何度も不合格になっている人でも、正規教員より優れていると感じる人はいます


「チーム学校」という言葉が生まれましたが、余裕があるからこそチームで取り組めるのであり、自分のことで精一杯な人だらけな所も少なくありません。
どのような業種でもそうですが、特に教員は自己犠牲の上でやりがいを持ってあらゆることに取り組んでいると感じます。そうでないとやってられません。お金のために働くなら教員はやめたほうがいいと思います。


冒頭に戻りますが、日本の英語教育は改善しなくてはならないことばかりです。使える英語を英語教員が一律で教えられる時代はいつ来るのでしょうか?
逆を言えば、現場で働いている教員は、自己研鑽をする時間がありません。頑張って工面している、またはそのようなことを推進している所もあるでしょうが、かなり厳しいと感じます。このようなことを書いていると「無能だからそうなる」などと言われてしまいそうですが、今の学校現場はオーバーワークすぎます


コロナで公務員志望が増えると言われたりもしていますが、仮に将来を見据えて職を求めているとして、教員の道を選ぶ人がどれほどいるのでしょうか?

学校教育全体の話になってしまいましたが、これが現実です。

自己紹介~深堀り編~

今さらですが、ここで自己紹介をしたいと思います。
こんなブログを書いている人間ってどんなやつなんだ?といった問いに対する答えとなれば幸いです。

名前:わたとん

本名との関係性は0です。なんとなく浮かんできた言葉を組み合わせたらこうなりました。

出身:田舎のようなところ

所属

ふつーの大学を卒業後、教育関係の仕事に就きました。私にはあまりにタフな環境だったため、2年足らずで過労のため退職。現在はコロナ明けの転職活動再開、といった感じです。

略歴

小・中・高と公立学校卒業。高2のときに予備校に一時的に通いだす。当時校内学年トップを競っていた「英語」が、本当は自分にとって得意ではないと知り絶望する(井の中の蛙でした。現在は楽しくやっております)。入試はすべて、教科のペーパーテストなしで大学まで進学。
大学在学中は成績優秀(ただ真面目に勉強しただけ)で学科内で2度トップになる。カナダへの語学留学、就活で内定をもらって辞退する、うっかり留年してしまう(これは汚点)など様々な経験をした。
卒業後に就いた職では平日平均12時間勤務、土日も出勤するということが普通にあり、無能な私にはとても身体がもたなかったため退職。色々と張りつめていた糸が切れてしまった。
そして現在、教育業界の内外を見て感じたことを公開できる範囲内で記事にしたいと考え、ブログを始める。

学生時代にやっていたこと

アルバイト

塾講師(この期間が長い)
英検の試験監督
キッズアトラクションスタッフ
倉庫作業

サークル

「自分には合わない」と思ったので入りませんでした。

趣味

動物とたわむれること、音楽鑑賞、スポーツ(特にテニス)、YouTubeを見ること

性格

他者視点だと「謙虚」「誠実」だと言われます。ギリギリまで追い詰められないとやれない人間です。片付けも下手で、最近になってようやく意識改革し、ごみ部屋から脱出しました。
一方、かなりの心配性で気にしいな部分もあります。
自分の幸せ=他者を喜ばせること=自分の貢献度を感じられること と考えるタイプです。

このブログでやりたいこと

  1. 教育情勢に対する自分の考え
  2. 教育業界で当たり前にあることについてもう一度考えてみる
  3. 勉強法
  4. 授業法
  5. モチベーションUP・KEEPのコツ

このブログのタイトルの意味は?

1000文字程度でさくっと読んでいただけるようなブログにしたいと思いこの名前になりました。
私自身、YouTubeで10分以上ある動画はよほど見る価値があると考えない限りは見ないため、文字で読んでくださる方にはそこまで負担にならないように、という思いが込められています。

学校の朝読書の時間ってなんであるの?【学校あるある#1】

「おい、今なんの時間だよ!」と朝読書の時間に先生に叱られたりした経験がある人はいますか?
そのとき、何を思いましたか?「うるせーな、だまれよ」くらいは思っているかもしれません(笑)
逆に自分はしっかり朝読に励んでいるのに、周りが騒がしくて集中できない経験がある人もいると思います。


学校にはもっと簡略化できることがたくさんありますが、朝読は必要だと思います。私も朝読から本が友達になり、小説のようなものは中学生時代に一番読んでいたと思います。


でも正直、先生に見張られながら読書するってどうですか?嫌ですよね。本音を言ってしまえば、おしゃべりや関係ないことをする人に朝読を無理強いすることほど、無駄なことはないというのもまた真実です。
朝練があったり、塾の課題が終わっておらず、朝読の時間に寝たり課題を終わらせたりするほうがよっぽど効果的だと思う人もいると思います。

 

そこで今回は、なぜ朝読が多くの学校で取り入れられているのか、メリットとともにお伝えします。


朝読の導入理由には様々なものがあると思いますが、

  1. 読書に対する抵抗感をなくすため
  2. 本を通じて様々な考えを身につけたり、想像力を働かせられるから
  3. 朝は脳がリセットされているうえ、読書をすることで脳の動きが活発になり、授業へのモチベーションへとつなげられるから

などです。

 

もちろん、読む本にもよりますが、活字に対する苦手意識を払う効果もあります。私は東野圭吾さんの本を熟読していました。『手紙』が当時の私には一番刺さりました。おすすめです。

 

そもそも朝読にゴールはありません。毎日、みんなで、ただひたすらに、好きな本を読む、それだけです。読書習慣がつけばつくほど、人生はより豊かになると思います。

 

朝読に対する批判はもちろんあります。「教員による善意の押し付け」、「そんなことでは自発的に心から没頭して読書ができる人間は育たない」、それも重々承知したうえで実施しているのです。

 

知人に東大生がいますが、殺風景な部屋には大量の本があります。私と専攻が近かったので私にとってはミニ図書館のようなものでした。東大生は月3~5冊ほどの本を読んでいるというアンケート調査もあるそうですが、本当に気軽に本を手に取って買うんですよ。しかもすごい内容の濃いものとか分厚いもの。私は講義や課題に関する本はよく読んでいましたが、それで手一杯でした。すごい。

 

学生・社会人問わず、読書をする習慣をつけてみてはいかがでしょうか。

誹謗中傷の件から考える、メディア中毒の怖さ【デジタル断ち】

初投稿ですがやや重めのものを取り扱います。

誹謗中傷による事件は後を絶ちませんが、そもそも過度にメディアに触れることというのがどれほど危険なものなのか、私たちは理解する必要があります。

そこで、ここ10年で有名となったとある実験をご紹介します。

メリーランド大学のスーザン・メラー教授は世界12ヶ国の1000人近くの学生を対象にある実験をしました。

それが「24時間の間、インターネット、携帯、新聞、雑誌、テレビなど、すべてを断つ」というものです。

ルール

・メディアに触れてしまってもそこで終了せず、そのミスを記入し、最後までやり遂げる

・24時間が経過したらまた元の生活を円滑に進められるように計画を立てる

・嘘はつかない

このようになります。

その結果はすさまじく、学生たちの感想は「気が狂いそうになった」「心に何の感情も湧かなくなった」「拷問されているような気分だった」など、1日だけでこのような気分になるのは、一種の中毒・依存症だと例える学生もいました。

その通り、薬物中毒とネット中毒には共通点が多く見つかってきていることが明らかになりました。知らず知らずのうちに、デジタル過食症になっている人がたくさんいるのです。

またあなたは、携帯が振動していないのにそう感じて手に取ったことはありませんか?これは、ファントム・バイブレーション・シンドローム幻想振動症候群と呼ばれたりしています。

誹謗中傷の件は厳罰化が求められたりしていますが、そもそもの話、このようなテクノロジーが発達した社会で自他ともに考える・思いやる力が極端に弱くなっていると感じます。人間は機械と同じように変わることはできません。

これは個人的な意見になってしまうのですが、このようなことはまた繰り返されるものだと思っています。被害者を減らすためにも、1つの書き込みで自分も他人の人生も変えてしまう可能性があること、匿名だから逃げられると勘違いしているのは大間違いだということ、そのようなことはあらゆる場面で発信する必要があると思います。

本来ならば家庭で徹底的に教える必要があるとは思いますが、現状からして、これは学校教育でも重く扱わなくてはならないものになりますね。本来はここまで踏み込むことではないと私自身は思いますが、そうもいかないので。

私も以前「死ねや」ととある場でコメントをされましたが、その人はたぶん私のことを知っている人だと思います(証拠はないですが)。しかし、面と向かってその言葉は絶対に言えないと思います。

覚悟を持って、オンラインでもオフラインでも発言をしていきたいものですね。